息子が怒って帰ってきた。
遊ぶはずだった友達数名がボーリングに行きたいと言い出して、お金がないから行けない子数名を残して行ってしまったそうだ。
ボーリングに行った子の家に取り残されたそうだ。
主不在の家にいられるわけもなく外で遊んだそうだが、息子の怒りはおさまらない。
一人でも行けない子がいたら違うことしてみんなで遊ぶでしょ!普通!
…いい子だ。
でもね、ボーリングに行きたくてたまらないのにあきらめて無理に一緒にいられても楽しくないかもよ、だったら行ってきていいよって言えたほうが大人じゃないかい?
と言ったが、
だったら急に言うな!はじめから約束するな!
だそうだ。
つまり、
和
の問題。
和というのは非常に難しい。
同調や迎合せず
自分を保ちながら
人との適切な距離を見極める。
皆の納得できる落とし処をみつけられる。
そんなスキルが中学生にあったら怖いか。
協調性ある息子も自分なりの正義感と葛藤中のよう。
大人になると、
大人、という言葉で、都合よく、正しさから逃げてしまう。
なぁなぁで終わらせてしまう不甲斐なさを
大人という言葉を隠れ蓑に使う。
正しさに突き進む人を困った人と位置付けるのは、
逃げている自分の弱さを認められないからなのだろう。
正しく強い人を目の前にすると逃げる自分の弱さが恥ずかしくなる。
弱い自分に立ち向かうよりも、
その恥ずかしさから目を背けるために、
真実をねじ曲げてでも集団で攻撃する。
結局は数がものをいう社会、
敵を増やさず妥協が和を保つ、
それが大人になるということだ
とは
息子に言わなくていい大人でありたい。
妥協で得た多くの信用より
誠実な信念で得たわずかな信頼
この選択は
とても生きづらい。
だが、このほうが幸せだと
この歳になってつくづく思える自分がいる。
自分の誠実さを信じられる
そんな大人に成長してもらいたいものだ。